30代半ば男性の子育て日記

息子の子育て奮闘記

保育園デビュー

息子が一歳の誕生日の時に、保育園に預けることになりました。

 

一歳の時点で預けることに対してはかなり抵抗があり、親の責任放棄というか、罪悪感みたいなものを強く感じました。

 

ただ、僕が反対だったとしても、妻が日中ず〜~っと2人きりで息子といるので、簡単には、まだ保育園に預けるのは、かわいそうだとは、言えませんでした。ただでさえ、出産後、ホルモンバランスが崩れているにもかかわらず、初めての育児に頑張っている妻の姿を日頃から見ていたからです。家計が苦しいからという理由だけでなく、子供と妻の距離を少し置きたいというのもあって、悩んだ末の判断でした。

 

そういう訳で、一歳の誕生日の翌日に、息子は、保育園デビューしたのですが、早速、保育園の洗礼を浴びることになります。

 

息子は、それまでは、熱が出た事はなく、誰もが経験すると言われている突発でさえ、未経験だったのですか、初日の慣らし保育が終わり家に帰ってくると、初めての高熱が出たのです。翌日、初めての病院に連れて行くと、なんと「インフルエンザ」ということでした。

 

保育園に行くと、よくお友達の園児から病気をもらうと聞いていましたが、ちょっと早すぎじゃないですかね?初日ですよ、初日。

 

さすがにこれには、気が滅入りました。妻も新しい仕事が始まっていますし、簡単には、後戻りできない状況でしたが、息子が初めての病気でしんどそうな姿を見てると、保育園に預ける判断を改めたい気持ちになりました。

 

でも、夫婦で話し合った結果、非常に悩みましたが、親にとっても息子にとっても、いつかは乗り越えないといけない問題だということで、引き続き保育園に預かってもらうことにしました。

 

今では、保育園に預けて本当に良かったなと心から思えているのですが、苦い保育園デビューの思い出です。

 

以上です。

 

寝かしつけ

寝かしつけに関しては、本当に苦労しています。とにかくうちの子供は寝るのが大嫌いなようで、生後6か月ごろには、僕か妻が抱っこしないと寝てくれないようになってしまいました。

しかも、抱っこしてすぐ寝てくれたらまだいいんですけど、子守歌を歌ったり、童謡の音楽をかけてみたり、少し抱っこしながら走ってみたりして子供に寝かしつけを悟られないよう工夫しながら寝かしつけないといけないので、最終的に寝るには1時間くらいかかります。

それが1歳半頃まで毎日でした。最初のころは体重がまだ軽かったので、マシでしたけど、1歳半頃になると10キロくらいの重さになるので、よく次の日は筋肉痛になりました。

少し話せるようになってからは、抱っこすることはなくなりましたけど、必死で抵抗してきます。一度も自分から寝床に行ったことはないですし、家全体が就寝モードの真っ暗にならないと寝てくれません。妻が、寝かしつけているときに、僕がリビングでいると必ず僕の所へやってきますし、反対もそうです。そんな状態ですので、一旦寝るふりをしながら、子供が寝たのを見計らってそっとリビングに戻って晩酌の続きをするという感じです。

 

理想を言えば、21時には、寝てほしいんですけど、その時間までに家全体を就寝モードにするのは、難しいことが多くいつも22時頃からの寝かしつけになってしまいます。今後の課題です。

 

以上です。

 

 

名付け

妻の妊娠が発覚してから、出産までのおよそ10か月の間に、重要なミッションがあります。それは、子供の名前を考えるということです。

 

名前を考えるといえば、今までは、ゲームの中のキャラクターに名前を付けたことがあるくらいで、しかも適当に付けていましたし、その子の一生の名前を考えないといけないのは、かなりのプレッシャーでした。

 

何事も、本から入る性分ですので、早速、名付けの本を購入し、世の中の名前という名前にはどういったものがあるのかをリサーチしました。ちなみに、この時には、性別が男の子だと、わかっていたので、購入した本も男の子の名付け本でした。

 

本の中には、膨大な量の名前が紹介されているんですけど、要はその中から消去法で、1つに絞っていく作業です。ただ、なんとなくの気持ちで消去していくと、最終的に残る名前もなんとなくになってしまうと思ったので、その作業の前に、基準を明確にしました。親として、子供の名前に求める基準です。

 

本当に人それぞれだと思いますが、僕の場合は、音の響き、唯一性、文字の画数の3つを基準としました。この3つの基準には、優劣の差はなく、並列の関係です。

 

音の響きについては、異論はないと思います。これからの人生で、頻繁に耳にする音ですから、親が不快だと感じる響きの名前を、子供に付けたがる親はいないでしょう。この基準だけでもかなりの候補数が減ります。

 

次の唯一性ですが、こちらは意見が分かれるところです。よく人気の名前ランキングなどが、発表されますが、それを見た時の反応の違いによく表れていると思います。僕は、名前の本質からして、モノの名前で考えたらわかりやすいですが、それを特定する為に付けるのが、大原則だと思います。単純に同じ名前が多いとややこしいからです。それは、人の名前にも言えることです。

 

最後の、文字の画数ですが、こちらは完全に自分の被害妄想です。本の中で画数診断があって遊び半分で自分の名前を診断してみたら非常に悪かったので、今までの自分の人生に運がないのは、そのせいだと思いこんでしまいました。当然、子供にそれを引き継いで欲しくないという気持ちから基準にしました。

 

以上、3つの基準を元に絞っていくと、本当に一つだけになりました。でも、そうして、いろいろ試行錯誤して残ったその一つでさえも、この時には、まだ100%の自身が持てないものです。

 

自身を持つために何度も何度も口に出してみたり、名前を紙に書いてみたりしても、その不安は消えませんでしたが、産まれてきてくれた名前を息子に向かって呼んだ時には、そんな不安はなくなっています。

 

以上です。

 

 

立合い出産_後半

病院に着くと、陣痛の痛みによりこれまで見たことがない妻の姿がそこにはありました。陣痛がなかなか始まらず、お腹が張っていただけの時とは大違いです。

 

陣痛が来たら、腰のあたりを親指で押してあげると、少し痛みを和らげることができると言ってそのやり方をドクターがレクチャーしてくれたのですが、それがなかなか難しい。

 

というか、コツを掴んでいないからなのか、男の僕が全力で押してもまだ足りないくらいの力が必要です。腰あたりを押すと、中で赤ちゃんが動いているのがわかるのですが、赤ちゃんとの押し合いっこみたいなイメージですね。

 

そんなちょっと教えてくれただけでできるほど簡単な技ではなく、あれは熟練の技です。いきなりうまくできるはずもないのに、妻からは怒られて、速攻で、心が折れたんですけどね。まぁそこは我慢してひたすら見守るのみです。

 

あと、陣痛が始まれば、当たり前ですけど、出産するまで、3分に1回くらいのペースで陣痛がやってきます。こちらの都合はお構いなしです。とにかく産まれてくる赤ちゃんと押し合いっこです。

 

で、そこから何時間後に産まれてくれたかというと、翌日の夕方の3時40分でした。僕が病院に着いたのは、夕方5時くらいですから、だいたい22時間後ですね。寝れないという覚悟はしていましたけど、正直あんな肉体労働とは思ってもみませんでした。あと、精神的にも妻が苦しんでいる姿を見て何もしてあげれないのは、辛かったです。途中、替われるものなら替わりたい、その方がよっぽど楽なのにと思いました。

 

立会い出産を通して、思ったことは、一番は女性はやっぱり強いなぁ(笑)ということです。病院に来てくれた母親に僕が掛けた第一声が、「よく3人も産んだなぁ」でした。

 

立会ってよかったことは、その後の育児にもつながっているなぁということです。実際に子供を産むのは女性の体ですが、男性も出産というイベントに参加することで、少なからず男性の中にも子供を出産したという達成感がでてくると思います。

 

僕の場合は、その達成感があるから、家事も全くしなかったような人間が、その後のおむつ交換や寝かしつけなどの育児にも自然に入ることができたのかなと思います。産んだ親の責任とかいうヤツかもしれないです。

 

以上です。

 

立合い出産_前半

予定日が近づいても、陣痛が来ないし、過ぎてもなかなか陣痛が来ないことから、結局、妻は入院することになりました。入院中は、陣痛を促進する点滴注射をしながら、ただただ陣痛が始まるのを待つというものでした。

 

僕が仕事終わりに病院に行くと、妻は全くいつも通りで、お腹の様子を聞いても、少しお腹が張っている感覚があるくらいとのことです。この時まだ、陣痛の痛みを知らない妻は、自分が痛みに強い人間だと思ったらしく、気持ちにも余裕がありました。

 

点滴を続けること3日間、それでも陣痛が起きる気配がないとのことで、一旦、自宅で

安静にするべく退院しました。環境を変えることで、陣痛が始まるパターンもあるそうです。しかしながら、陣痛は起きることなく、時間だけが過ぎ、予定日を2週間ほど過ぎた時、再度入院することになりました。今回は、風船を膨らませて陣痛を促進する方法らしいです。

 

前回の入院の時もそうでしたが、いつ陣痛が始まってもすぐに駆け付けることができるよう仕事中はできるだけ妻とメールで連絡を取りながら、様子を確認しながら、仕事をしていました。その日もそんな感じで仕事をしていたのですが、夕方4時ごろ、ついに、妻からの「明日、休みを取ってほしい」とのメールが来ました。ついに陣痛が始まったのです。僕は、大慌てで病院へ駆けつけました。

 

以上、後半に続く 

 

 

妊娠発覚から出産まで

産まれる前は、なんとなく自分には、一生子供ができないだろうなと、妻には内緒で思っていました。だからよく子供がいなくても2人で楽しく過ごしていこうよ的なことを言っていたように思います。

 

別に、不妊の検査を受けたことがあるとかじゃなく、自分みたいな人間に神様が子供を授けるわけはないだろうというかなり自己肯定感が低い妄想で、当時はかなり本気で確信していました。

 

なので、検査薬で妊娠が発覚し、夜中に妻から起こされたときは、一瞬、妻の言っていることが理解できなくて、頭の中が真っ白になりました。その日の仕事も全く身が入らず、簡単に言えば、子供ができた喜びと底知れぬ不安が交互にやってきて、ちょっとしたパニック状態でした。

 

それからの出産までの10か月は、女性のほうは、妊娠を通して自然に母親になっていくと聞いたことがありますが、男の僕としては、お腹が大きくなっていく妻をみて、少し実感する程度で、父親としての自覚はこれっぽっちも持てないまま出産の日を迎えることになりました。

 

父親としての自覚と言えば、今現在も、あまり持てていないように思います。というか、この先も自分が納得できるまで、自覚を持てるかどうか謎ですが、そこは子供の成長に合わせてゆっくりと育んでいけたらなと思います。

 

以上です。